こんばんは♪ id:fenecことフェネです。
今更ですが、変な名前ですよね。
昔々、まだブログが一般的なログツールになる前。10年以上前に「さるさる日記」っていう日記サイトが有りました。その頃に使っていたニックネームがフェネでした。その流れでネットではずっとこの名前を使っています。
大学生の頃はさるさる日記を毎日更新していたんですけどサービス終了の色が濃くなってからは更新を止めてしまいました。
今日は特に何の情報もなく、「僕個人にとって飛行機ってなんだろうな~」っていう雑記です。
航空会社について~
幼少
親がバブルで儲けてて、小さい頃は裕福な生活をさせてもらいハワイとかロサンゼルスとかに連れてって貰ったそうです(憶えてない・・・笑)。
記憶にあるのはJALのこと。ふる~い鶴丸で赤と灰色のラインが入ってる飛行機。
(あれ?黒と赤だったかも)
その飛行機に乗ったのは憶えてて、CAさんに飛行機の模型をもらいました。
多分3歳。強烈に覚えていたのはフロントのランディングギアが折れたり、エンジンがもげたりする度にかなりのショックを受けてたからだと思います。
その度に瞬間接着剤で親に直してもらってました。
ま、そもそも幼児に与えるおもちゃにしては精巧に出来過ぎてたんだと思います。
それは悪い意味ではなく、僕に「ものはあっけなく壊れる」ということを教えてくれた貴重な存在でした。
そして、実物はとても巨大でパワフルな飛行機と模型の繊細さに魅了され、飛行機が大好きな存在へと昇華したんだと今は感じてます。
なぜなら模型飛行機と実物を見るときの観点が飛行機に限って極端に違うんです。模型飛行機では繊細なところ(翼についてるボルテックスジェネレータやランディングギア)に目が行き、実物はパワフルなエンジンなどに目が行きます。これが飛行機を好きになった一番の理由かもしれません。
その後、小学校3年生(10歳くらい?)でまたハワイに行きます。
その時に乗った航空会社がユナイテッド。まだ破綻前でしたね。
それもまぁ、とにかく感動しました。
機内でひたすらコーラを飲んでました。だって親から「コーク!!」としか教えてもらってなかったから(笑)
多分水が飲みたくてもWater!って言えなかったんだと思います。
でも飛行機の中で食事が取れることに感動しててそれしか憶えてないです。
ハワイでの観光?
全然興味ありませんでした(笑)
まだ10歳くらいの子供だと、エコノミークラスでもビジネスクラス並みに広く感じました。とにかく何も不自由なかったでしたね。ビジネスクラスというものも知りませんでしたし(笑)。
それからと言うもの、ずっとユナイテッドが好きで昔のユナイテッドのマークをひたすら絵に書いてた記憶があります。
▼昔のユナイテッド航空のマーク
その後、飛行機が好きであったにも関わらず、高校になるまで飛行機に乗ることはありませんでした。
理由は父親が公共交通機関に乗らないこと。父は電車も嫌いだし、新幹線、飛行機も嫌いでした。
大学
その次に飛行機に乗ったのは大学3年生頃。
バイトしてお金貯めて大阪に行ったり、学会でマレーシアに行ったり。
卒業旅行はお金がなくて九州に行きました。確かJALパック。長崎に到着し、鹿児島まで各県を廻りました。
とにかく飛行機にのるようになったのは社会人になってからです。
遠距離恋愛で飛行機に乗るようになった
大学を卒業してから彼女が出来ました。僕は関東や名古屋を起点、彼女は福岡でした。
なので彼女のところに行く手段は必然的に飛行機になります。
初任給をもらった頃から月平均で4万円ほど交通費に消えていきました。
今思えばあの頃修行をしていれば!!って感じですね(*´ω`*)
しかし残念ながらANA、スカイマークから安い運賃の便にひたすら乗り続け、結果的にプレミアムポイントなんて全然たまらなかったと思います(っていうか知らなかった。。。)
ただ会いたい一心で正規運賃で駆けつけたこともありましたっけ。。
理由はすごく単純。
予約するときにANAのページを最初に見てたから(・∀・)
後半になると予約した時の時期のおおよその価格表と、自分の出せる金額が頭のなかにあって、それがマッチしてたら即予約~という流れだったので出せる金額だったら「ポチ」ってしてたんですね。
約2年間、もともと飛行機が好きだったので、グライダークラブに入り滑空機(グライダー)の訓練を受けつつドンドン飛行機にのめり込んでいきました。
その後、その彼女と結婚しました。
結婚したら彼女の実家に行くために定期的に飛行機にのるようになり、クレジットカードもANAゴールドに変えたりでマイルが貯まるようになりました。気付けばANAばかりに乗るようになってました(*´ω`*)
SFC取得に至る経緯
社会人になってから飛行機にのることは数年に1回。私の会社では余程遠くない限り飛行機を使うことは出来ません。また、同期は頻繁に海外出張に行ってましたが、私は海外との取引がなかったため海外に行くことはありませんでした。
しばらくして、急に九州や北海道の会社との取引が増え、飛行機を使うことに。
それからは以下の記事に至ります。
ということで、オチもなくとりとめもない記事でしたが過去の経緯はこんな感じです。
本日は以上です♪
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